思い出いろいろ

By nob, 2016年1月22日

私がボーイスカウト活動に携わったのは息子が当団のカブ隊発隊式に入団してから始まりでした。
活動の様子を夕餉に共通の話題があって良いのではと思い、デンダット今のデンリーダーの役を戴きました。他の子供を観るのも子育ての一貫でも有りました。その後は、カブ隊副長、カブ隊隊長、団委員 団委員長と現在に至っております。
平成元年から10年迄 カブ隊隊長の時、仕事疲れの中スカウト達は目を輝かせて私を待っている姿に疲れも吹っ飛びました。今ではその時分のスカウト達は立派に成長しまして、結婚適齢期 或いは子供も出来て幼かった面影はありません。後ろから『隊長』と声を掛けられると嬉しく隊長冥利に尽きます。
しかし、悲しい出来事も有りました。小学2年生で仮入隊したあるスカウトの死は一生忘れません。小学校の頃『言葉の教室』に通っておりました。いつも遠くから集会に休む事無く頑張っておりました。その彼が、組長の時カブラリーでの大勢の前でしっかり報告してくれました。恐竜が大好きで全ての恐竜の名前を私に教えてくれました。ボーイ隊もしっかり頑張ってベンチャー隊に上進した矢先でした。高校合格発表の日 合格の知らせを自転車でお爺いさんに知らせに行く途中に交通事故に遭いました。皆んなの必死の願いもむなしく逝ってしまいました。告別式には、「連盟歌」のテープを流しました。彼こそが文字通りの「永遠のスカウト」でした。
団委員長の役務になってからは、良き相談相手になって戴きました育成会長様の死に対しても哀悼の意を表したいと想います。
現在は、各隊の支援でキャンプの荷物運びを行っております。ボー隊の夏季キャンプで、あるスカウトから「荷物運びをして貰う委員さんは、天使やなあ 僕達キヤンプでヘトヘトやけど荷物運びはもっと大変ですね。」と言った想いが、感謝の気持も有ったのではと、私は「はっ」と驚きました。
これからも元気の間は当団の発展の為尽力を尽くしたいと想います。
100周年に当り思い出いろいろを寄稿いたしました。
(I.K)Ma06-1 60

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