息子がカブ年代になったので、川向うにあるボーイスカウトの団に入れてもらった。
小学3年の夏、戦争が終わった。まもなくあいつで復刊、創刊された少年雑誌には、アメリカの少年たちが夢中になっているというボーイスカウトが紹介されていた。ボクはボーイスカウトに憧れた…。しかし、ボクの住んでいたイナカの町にはスカウトの団はなかった(現在に至るまで、ない)。
八百屋さんがいた、薬剤師、理容師、イラストレーター、染物屋、畳屋さんも…。スカウトの父兄には実にさまざまな職業の人々がいた。おどろいたのはスマートに制服を着こなしたリーダーの多くが、必ずしもスカウト経験者というわけではなく、実はこうした普通のスカウトの父親だ、ということだった。コレハヒョットスルト、オレモスカウトニナレルノカモシレナイ…!。
2年後、ボクにリーダーに、との声がかかった。一も二もなく承知して、制服を着、誓いをたてて念願の!スカウトになった。オトナとの付き合いよりもボクにはコドモたちとふれあえることが楽しかった。リーダーに、というよりスカウトになれたことが嬉しく、一緒にスカウトの課題に挑戦もした。結索、読図、手旗、モールス、野営技術…。以来30数年、息子はとっくにやめてしまったが、ボクはずっとスカウトをさせてもらっている。スカウトあがりの呉服屋さんとオマワリさんとがボクのステキな相棒になってくれた。
長年アメリカで大学教授をしていて、昨年帰国したというウチの団の大先輩がいる。ボクと同年輩、戦後第一世代のスカウトである。この団が60数年を経てまだ活動していることを喜んでくれている。初対面のとき、この人の名刺を見て驚いた。そのEメールアドレスが「beprepared@……」。まいったな…。
(M・N) ky04-003