カブ入隊から60年

By nob, 2016年3月17日

スカウトになったのは、私が小学校の3年生。信者の子どもとして、団がカブ隊を発足させるとしての呼び掛けに応じ、両親が入隊させた時からです。
 京都第14団カブ隊の発隊から、紺のユニフォームに身を包むことになりました。京都第14団は、カトリック河原町教会を活動拠点として発団しました。爾来約60年、今は西院のカトリック教会に団本部を移していますが、京都第55団は50年前、この14団から分封し、山科に活動拠点を移しました。
 今年5月、明治村に移築移転した旧御聖堂を訪問し、旧御聖堂で活動したスカウト・指導者が集い、夕刻今の教会で神父様に祝別を受け、その後ホテルに会場を移し、昔を偲び、今日の出会いを祝す会を催しました。京都連盟は100周年を祝います。私たちは御聖堂活動OBとして先ず50年を祝いました。
この間の思い出として、「良き社会人」となることを目指し、「良き社会人」となるように共に子どもたちを育てる日々の活動の中で、最も素晴らしいことの一つとして、永遠
の繋がりを得ることが出来る、人間関係を得ることもできるというものです。
カブ隊の隊長は、真野昭雄さんでした。先般、主の思し召しにより天に召されましたが背の高い格好良いおとなでした。甲山のピクニックの時に、隊旗を持って先頭を歩いたことを覚えています。隊旗を持つということは、大変名誉なことであるというのが私の認識でした。 
そして先頭を歩くというのは誇らしいことでした。今の子どもたちは、「隊旗」という「モノ」に対する意識をそう強くもっていないように見受けますが、和歌山県白浜市で開催されている「砂まつり」に洛星地区ローバーとして臨んだとき、龍谷大学ローバー隊も参加しました。その時彼らは白手袋をはめて隊旗を取り扱っていました。その時の彼らが素晴らしく、とても「感激」したことを覚えています。
息子が友達に誘われて、ボーイの団を探しているときに、14団から分封した団があったはずだと思い出して今に至ります。団委員会に呼び出され、面接を受けていた時、デ
ン・マザーをしていた母のことを思い出され、「その樫原君か?」と尋ねられ、そうです!と答えた時から30余年、先輩指導者と後進指導者としての関係から、スカウト運動について、ベーデン・パウエルについて、ウルフ・ブックやジャングル・ブックについてなど、深い話をするようになりました。再開するまでに歳月の空いていた二人でいたが、親子のようなふれあいでした。
 もうお一方、京都第8団のボーイ隊長であった岩城 公郎さん(現 田中さん。)は今現在京都連盟の副理事長として100周年記念事業を推進されている方ですが、妹も幼い
ときにお世話になった大先輩です。何かあれば!と思う方です。
ky55-001(R・K)

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