20年前の忘れ得ぬ思い出 阪神淡路大震災 京都連盟創立80周年
By kawamura, 2015年8月24日
1995年(平成7年)1月17日早朝、未曽有の大地震が阪神・淡路地方を襲った。早朝よりの各種のニュースでその被害が私たちの耳目に飛び込んできた。京都地方の地震計も震度5の記録を伝えていた。その震源が京都と目と鼻の先の阪神・淡路地方とは思いもよらなかった。
連盟の事務局へは各団から被害地への奉仕報告が次々入り、団がそれぞれに動くより、連盟としてまとまった動きの方が人為的にも継続的な支援が必要であるとの見方により、大阪連盟のご協力ご指導により支援する場所も決まり、さっそくに1月22日に臨時理事会を開き、対応を協議した結果2月1日より毎日期限なし10名~15名の奉仕者を募り、連盟としてまとまった支援を開始した。
六甲小学校、徳井会館、成徳小学校それぞれに1泊2日で、引継ぎを考慮した支援体制をお願いした。救援物資の仕分け、配給など慣れないこと故、奉仕していただいた方々から毎日ファクスにて伝言、ご意見をお聞きして暗中模索の毎日だった。当時の井上事務局長も対応に大変だったと思う。
しかし、私たちの「そなえよつねに」の活動の訓育は、この時とばかり発揮され、その成果がスムーズに行われたことは、さすが活動するものと安心した。またこの間、個人、各団、各地区においてはそれぞれに現地へ支援していただいたことは有難いことであった。私も毎朝阪急四条大宮駅に奉仕者の皆さんをお送りし、時折現地に赴き支援の状態を視察した。
2月も終わるころになると現地の各団体の支援体制も整ってきたので、連盟の支援を2月末にて打ち切ることにした。しかし各団、各地区の積極的な支援は引き続きお願いした。
この年は京都連盟創立80周年の年でもあった。テーマ「京都に生まれて80年」。事業として4月2日オープニングセレモニー「梅小路公園植樹」を皮切りに、5月1日~14日まで地下鉄御池ギャラリーにて「スカウト写真展」、5月21日、22日京都会館にて日本連盟年次全国会議を開催、議長団に篠田現理事長(当時県コミッショナー)が腕を振るわれ無事終了。
その夜福原副理事長のご紹介で新装なった京都ホテルオークラにて「親睦の夕べ」が、八木副連盟長の歓迎の言葉で始まったその時、四斗樽を神輿にして兵庫連盟の富永理事長、山田コミッショナーをはじめ役員総出でワッショイ、ワッショイと掛け声勇ましく入場し、会を盛り上げていただいたときには感謝、涙であったことを覚えている。震災の4か月後のことである。
8月4日~7日、故木村副理事長のご紹介で自衛隊長池演習場にて、荒巻連盟長をはじめとして、日本連盟杉原総コミッショナー、府・市役員関係者、近畿ブロック各県連盟役員をお迎えして、ビーバーからローバーまでスカウト大集会を挙行。創立80周年に沿う素晴らしいスカウト大集会であった。
20年前の忘れ得ぬ思い出である。(副連盟長 羽生田寂裕・当時理事長)