いまから54年前の1961年6月、京都少年義勇軍の元隊員13名が滋賀県琵琶湖畔である
雄松崎に馳せ参じた。
「日本ボーイスカウト初野営の地」石碑除幕式に参列するためである。
1916年8月、ちょうど100年前、中野(久留島)秀三郎氏(忠八氏の実弟)に案内され、中野忠八氏に引率された13名の隊員は大八車に野営具を積み、ここ雄松崎の白き砂浜で幕営(野営)をした。義勇軍の少年たちは 天幕(テント)の張り方、火の起こしかた、野営の歌などを中野忠八氏から学んだ。 (元KBS第11団委員長 故高田芳二氏談)
また、湖畔の緑なす松のあいだを吹きぬけるそよ風に、琵琶の湖(うみ)の彼方より昇る雄大な日の出に、営火に託した高らかな合唱に、天の川にみるロマンに、焦げた飯盒をさらえた興奮に血を躍らせたのである。
その少年たちが、初老の面影に若き血潮をかきたててここ「日本ボーイスカウト初野営の地」の碑除幕式に、半世紀ぶりに全員集合したのだ。
どのような感慨で除幕式に参列されたのであろうか。少年義勇軍(スカウト)精神を全人生で堅持された兵(つわもの・スカウト)に見えたのはわたしだけであったであろうか。
いや、一度スカウトの誓いをたてた者は、死して後もスカウトだという歌は現実なものになるものだと確信した。
わたしは老兵達に永遠のスカウトを見たのである。
ともに「日本ボーイスカウト初野営の地」に立ったわたしは、いま老兵たちより歳を重ねたが、スカウト精神の永遠なる魂が燃え続けていることに誇りと100周年の重さを感じている。
除幕式に立ち会った26の瞳は、つぎなる100年に向かって京都のスカウト(健児)たちが夢と情熱と歴史を引きついでくれることを願ったのである。 「日本ボーイスカウト初野営の地」の石碑除幕式という、その願いをこめられた瞬間に立ち会えたわたしは幸せであった。 弥栄(イヤサカ)
石碑除幕式の世話と記念写真を撮った奉仕ローバー 後藤實久記
<京都第43団 同志社大学ローバー隊・ 副団委員長>
石碑除幕式出席者記念写真 <1961年6月撮影 於・琵琶湖畔 雄松岬>
日本ボーイスカウト
ボーイスカウト日本連盟総長 三島通陽 印
この白き浜辺緑濃き松の陰に
1916年故中野忠八氏がスカウトを連れ
現理事長 久留島秀三郎氏の
案内で初めて天幕を張られた
ここに我等は先覚者の途を辿り
今後の弥栄を祈りこの碑を建てる
1960年8月
ボーイスカウト日本連盟
総長 三島通陽 印